負けても応援するよ

錦織はもとより、ファジアーノもよく負けます。

昨日は、雨の中応援に行きました。

PKは、外すし、DFの後藤もケガしているし、GKがコートの半分を使ってボールを挙げるやりかたで、ボールを収めたのをまず見たことがありません。ボールをキープしながら、ボールを挙げていくならまだ確立も上がります。

ボール回しで切り込んだときはなかなか工夫があったりして楽しませてくれます。

守りがすきを突かれた時に得点をやすやすとされたというのが目立つのです。

がっかりです。でも、みんながあきらめずに最後まで応援して、それにこたえて雨の中走り回る選手を見ていたら、涙がでました。というより、すごく疲れていたのですがすっきりと、雲が晴れて、力を貰ったのでした。こんな時こそ応援するぞ・・・

帰る頃には雨も小ぶりでした。

今、福岡伸一先生の生命についての本を読んでいます。

生命、とは、動的平衡の上に成り立つという考えの先生です。

私たちが日ごろ、検査結果や診察で、何かがおかしいと思っていることが、

動的平衡の中でバランスをとって生きていることが崩れた時、どうとらえるかということに繋がります。一枚のデータ、写真など便利な検査機械がいっぱいありますが、身体が動的平衡の流れの中でバランスを取ろうとしていることを頭に入れて見つめる必要がありそうです。

膵臓は毎日大量の消化酵素をごうせいしています。消化酵素膵臓から漏れ出し消化管以外の場所に侵入したらたいへんなことになります。そこで、膵臓は危険物たる消化酵素を厳密に包装してカプセルのような球体の中に格納して貯蔵している。このカプセルがGP2の居場所の分泌顆粒である。消化管のみにおくりだすようにしているらしい。

私たち消化管の壁は絶えず消化酵素の攻撃をうけている。私たちの消化管は内側に折り込まれた皮膚の延長、食品成分との摩擦や、腸内細菌とのせめぎあいなどあるので、常に更新して消化管から剥がれ落ちた上皮細胞の残骸が私たちのうんちになる。

驚きは次のことだ。消化の意味は大きなものを小さなものを吸収しやすくする。だけではない。もっと大きな背景をもつらしい。食べものはもともとほかの

生命体、元の持ち主の生体情報がぎっしりつめこまれている。私たちの免疫システムが自己の生体情報と他者の生体情報を鋭敏飲み分けることができるので、混乱しないのだ。ここで消化が重要な意味を持つ。他者の生体情報を完全に解体することが消化の本質的意味らしい。

と、興味をそそる事実がたくさんあります。

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