流鏑馬
初めての流鏑馬、今回は事前にカレンダーに記入していたので予定できました。
起源は古く、1342年の文書にでているそうです。
水や風の災害を防ぐため神池に矢がいられるようです。
神事の後、おこなわれます。
神馬はカレラ、天使のザール、と聞こえましたが・・・
流鏑馬歴28年の方と二人の若い騎手が揃っています。
10走の予定でしたが、弓矢の板に当たる音でびっくりして、ご機嫌が悪くなり、残りを同じ馬で4走しました。ビデオはうまく撮れたのですが、写真は疾風の如くシャッターがついていきません。場所取り失敗。
こんなに行き過ぎてしまいます。
小さく映っています。
正面ですね、正解は・・・
でもとても近くで見れて迫力があり、面白かったです。
昼から刀剣の抜刀術が見れたのですが、サッカーの試合のためあきらめて、この写真のみです。
ファジアーノは7試合ぶりに勝ち点をあげました。
忙しくも、勝ったので疲れも出ません。
樹木希林さんが亡くなり、TVや映画を見て考えることもありましたが、老い支度をするみではありますので、感慨はひとしおです。
日々是好日 あん の映画は記憶に残る映画です。
ミトコンドリアといきるということ
人間が真核生物であることは、以前学習しました。酸素が必要な解糖系と、酸素を必要とするミトコンドリアによるATPのエネルギーで生きています。
息をしないで走ったとしても、少ししか持ちません。
ミトコンドリアが一日に作り出すエネルギーは、大量で、自分の体重と同じぐらいだそうです。でも体重は2倍になったりしません。体の中で、それだけのATPが必要で、エネルギ―を消費しています。
これは代謝と関わりが深く、体の中に入れた物質を別のものに変えるかつどうです。
毎日の生命維持に、エネルギーの70パーセントが基礎代謝に使われます。
身体は精密な機械ではないので、タンパク質でも不完全なものがたくさんでき、修復するのにもエネルギーを使う、遺伝子もしょっちゅう壊れていて、細胞で一日10万か所もこわれるそうです。そのエネルギーの元がATPです。
酸素を必要としない無酸素運動の代謝エネルギーはブドウ糖だけです。
これは長い時間エネルギーをつくることはできません。だから、ミトコンドリアが作るATPがひつようになります。
無酸素うんどうは、瞬間的なパワーをだすことができます。
相撲や短距離、なので、無酸素運動の使われる筋肉は鍛えるほど太くなるので、筋骨隆々の短距離選手になるわけです。
ミトコンドリアのもう一つの大切な働き、それは、アポトーシスです。不要な細胞が死ぬときに大切なことは、きれいに死ぬことのようです。
けがややけどなどをしたとき細胞は死にます。この時腫れたり熱を持ったりします。
死んだ細胞の中身が出て炎症を起こしているっ状態です。
体中が炎症だらけにならないのは、壊死でなく、痕跡を残さず消えていく死に方、アポトーシスがあるからのようです。ウイルスなどで、侵入を許した細胞は、遺伝子から死にな斎の命令がでると、まず小さく縮み、ばらばらになり、マクロファージにぱくりと食べられてしまいます。このしくみをミトコンドリアがもっています。風邪をひいて発熱したとき、薬を飲むと症状が長引き、薬を飲まずに休んでいると早く熱が引いて、風邪が治っている
・・・な経験ありますよね。これは、ウイルスに感染した細胞がみずからしんでしまい、入り込んだウイルスも一緒にしんでしまうからで・・・
熱が出るのを抑え込むと、合図が来ないので細胞は感染した状態が長く続くのです。
ATPを作り出す際に化学エネルギーをいったん電気エネルギーに変えるようです。其の時高い電圧がミトコンドリアのかかるようです。一部が高い電圧がかかると、電子がもれてしまい、其の電子が酸素と結びつき活性酸素が発生します。
ーパーオキシド、…過酸化水素・・・ヒドロキシルラジカル・・
【順に酸化力が強い】
これをコントロールできず、ミトコンドリアは死んでしまうそうです。
ここで、急激に電圧をあげないやり方、食事を例にとると、早食いが活性酸素をふやします。食事でミトコンドリアが活発に働きます。当然活性酸素もできます。拍車をかけるのが早食いということになります。
つまり激しくではなくゆっくりとミトコンドリアを働かせるのがいいわけです。
またミトコンドリアを増やすことも、仕事の量をゆっくりにできます。
少しずつ運動量をふやして、筋肉量を無理をせずふやすことがいいようです。
1分間の軽めの運動と30秒の強めの運動を混ぜたほうがいいとか最近はいわれています。ぜんぶが、そうだったのか…と納得しました。
運動をした後、ミトコンドリア自身を作り出すのに必要な物質タウリンも減ります。そこで運動の後サプリメントを取るのも効果的らしいです。
というわけで、運動の後30分ごに、サプリを取ることを試しています。
負けても応援するよ
錦織はもとより、ファジアーノもよく負けます。
昨日は、雨の中応援に行きました。
PKは、外すし、DFの後藤もケガしているし、GKがコートの半分を使ってボールを挙げるやりかたで、ボールを収めたのをまず見たことがありません。ボールをキープしながら、ボールを挙げていくならまだ確立も上がります。
ボール回しで切り込んだときはなかなか工夫があったりして楽しませてくれます。
守りがすきを突かれた時に得点をやすやすとされたというのが目立つのです。
がっかりです。でも、みんながあきらめずに最後まで応援して、それにこたえて雨の中走り回る選手を見ていたら、涙がでました。というより、すごく疲れていたのですがすっきりと、雲が晴れて、力を貰ったのでした。こんな時こそ応援するぞ・・・
帰る頃には雨も小ぶりでした。
今、福岡伸一先生の生命についての本を読んでいます。
生命、とは、動的平衡の上に成り立つという考えの先生です。
私たちが日ごろ、検査結果や診察で、何かがおかしいと思っていることが、
動的平衡の中でバランスをとって生きていることが崩れた時、どうとらえるかということに繋がります。一枚のデータ、写真など便利な検査機械がいっぱいありますが、身体が動的平衡の流れの中でバランスを取ろうとしていることを頭に入れて見つめる必要がありそうです。
膵臓は毎日大量の消化酵素をごうせいしています。消化酵素が膵臓から漏れ出し消化管以外の場所に侵入したらたいへんなことになります。そこで、膵臓は危険物たる消化酵素を厳密に包装してカプセルのような球体の中に格納して貯蔵している。このカプセルがGP2の居場所の分泌顆粒である。消化管のみにおくりだすようにしているらしい。
私たち消化管の壁は絶えず消化酵素の攻撃をうけている。私たちの消化管は内側に折り込まれた皮膚の延長、食品成分との摩擦や、腸内細菌とのせめぎあいなどあるので、常に更新して消化管から剥がれ落ちた上皮細胞の残骸が私たちのうんちになる。
驚きは次のことだ。消化の意味は大きなものを小さなものを吸収しやすくする。だけではない。もっと大きな背景をもつらしい。食べものはもともとほかの
生命体、元の持ち主の生体情報がぎっしりつめこまれている。私たちの免疫システムが自己の生体情報と他者の生体情報を鋭敏飲み分けることができるので、混乱しないのだ。ここで消化が重要な意味を持つ。他者の生体情報を完全に解体することが消化の本質的意味らしい。
と、興味をそそる事実がたくさんあります。
息抜きは必要だ。その場所を離れることだ
メインはここ!
大雨や災害でなかなか旅行の予定が立てにくい。
近くで、大掛かりでないところ
今回も、琵琶湖周辺、山に行けていないので、伊吹山に登った
そのままよ 月もたのまし 伊吹山
芭蕉も奥の細道の終焉の地、大垣で旅の疲れを癒したとき詠んだ句です。
大垣は 湧き水があちこちにあり、今年の暑い夏に、最高に冷たく気持ちいい有り難い水でした。水の都と呼ばれ多くの家庭に自噴井戸があったようだ。
この地は、木曽川をはじめ西美濃と輪中地帯は水との戦いに明け暮れていたようで、大垣の宇鉄公は 地山治水で山の植林、乱伐を止め、開墾していったようです。氏鉄入封から大洪水が起こり、岐阜から養老まで一面海になったといいます。慶安寅年の大水とよばれています。8月に他人事でなく経験したので、山や川の政策は大事です。
さて、芭蕉終焉の地はこんな佇まいの河をわたたのです。
大垣城というと、関ケ原の戦いです。この城で、唯一杭瀬川の戦いは勝利しましたが城をおびき出されて関ケ原の戦いでやぶれています。うらぎりもあり、落城しています。大垣城では、武器が展示してあり、やり鉄砲も触る頃ができました。
槍の先がこんなになってると、用途がわかり痛そうです。
伊吹山ではガスが出ていましたが、ミストを浴びているようで涼しく、眼下の風景が見れなかっただけでお花畑は楽しめました。カメラを買い替えたのでよく映っています。
コイビキアザミ
あざみ?
アキニキリンソウ
メタカラコウ
リンドウ
高原で、蝶が蜜を吸いながら、幸せそうにとびまわっています。
サラシナショウマの群生です。
ゲンノショウコ?ハクサンフロウと葉が違う。
ほんとに元気をもらいました。
最後に神の島 竹生島 周囲2キロで、(神を】斎く島に由来して、いつくしまがつくぶしま・・・竹生島になったとか、島の形が雅楽の笙に似ているからとかいわれているようです。
祈りの石段を登り、本堂【弁才天堂】、三重塔、国宝観音堂や秀吉のござ船日本丸の骨組みで作った船廊下、天皇を迎えるのに時代の粋を集めて作ったという(日暮御殿)という伏見城内の最高の建物を寄進した都久須磨神社…これはなんだ!!!と思うぐらいの凝りようです.そしてかわらけ投げ、弁天様の幸せ願いだるまおおみくじ・・・
かつて、平経正が琵琶の名手としてしられ、平家物語巻七の竹生嶋詣に描かれているのですが、木曽義仲討伐につく途中、ここによりびわを奏でます。
社殿に澄んだ音色が響き渡ると、神仏も白竜となり経正の袖の上にすがたを現し、『ちはやぶる神にいのりのかなえばやしるくも色のあらわれにける』と歌を詠んだそうです。東京芸術大学にあるそうです。
もっともっと登ります。
うえ、本殿
三重塔
船廊下
県連豪華な国宝都久夫須磨神社
天井絵は見れませんでした。
帰りにかわらけなげの全景をとる
長浜の曳山山車には、竹生島のものがつかわれているそうです。
秀吉が男子誕生をゆわい、町民に砂金を配りそれを元手に曳山を作ったのがはじまり
300ねんまえにこども狂言が演じられました。五歳から一二歳の子供により演じられます。それはそれは立派なものです。
曳山の高さ、六から7.6メートル、長さは六~九メートル 幅は三~3.5メートル
重さ4.5~6.2トン、一三期の曳山があります。とにかく凄い。
さて、竹生島より帰路、眺めのいいデッキへいきごきげんになりました。
琵琶湖は波がなく船で走ると爽快です。
ご機嫌になります。御神渡りのように、波が邪魔しないから一直線に航路の道ができます。いい息抜きでした。
駅のすぐ前に伊吹山
住んでいる町に大きな山がそびえるのは大好きな風景です。安心します。
江戸時代も長生きの方が多かったようだ
江戸時代の介護の在り方を調べた。
身寄りのない高齢者の扶助や高齢者への褒賞、稀なる長寿として、生涯一日米5合などがあたえられている。
又か増へも併せて、たたえるべき善行として褒賞されている。
親への介護は願いを出して介護休暇がとれていたじだいであり、とにかく、精神的に側にいてあげることが尊ばれていた。
家の崩壊と、分業の発展により、私たちは便利さを手に入れた。でも、協力や扶助の精神を忘れてしまった。
色々の災害により、また思い出されつつあること、
自分の周りで、死を経験せずに、育った子供たち
無くなった数々の人の織り成す習慣、祭り等
いろんなことが頭の中を駆け巡りました。
後短い健康寿命、どうしたらいいのでしょう。
など考えながら絵画をみにいきました。なんか懐かしい。
夢をありがとう
日本代表 素晴らしい試合を見せてくれました
加えて、次世代の若い選手を練習相手や試合の観戦に連れて行ったことも
次につながるし、しっかり自分たちを追い込めたのでしょう。
にしても、情報を取る人を4人にしていたらしいのですが、戦いそのものだというきがしました。本当に、攻撃陣はベルギーを上回りました。
ただ、ゴールが同じパターンで、やられていた気がします。
キーパーも外で活躍する人が増えたり、育てたりしないといけないと思いました。
闘争本能が刺激されて、楽しいです。日本は消えましたが、まだまだしのぎあいがあります。
にしても、うちのファジは3得点しましたが、失点も3点、トホホ・・・
台風が来ていますが、スイカやメロンは大丈夫でしょうか