息抜きは必要だ。その場所を離れることだ
メインはここ!
大雨や災害でなかなか旅行の予定が立てにくい。
近くで、大掛かりでないところ
今回も、琵琶湖周辺、山に行けていないので、伊吹山に登った
そのままよ 月もたのまし 伊吹山
芭蕉も奥の細道の終焉の地、大垣で旅の疲れを癒したとき詠んだ句です。
大垣は 湧き水があちこちにあり、今年の暑い夏に、最高に冷たく気持ちいい有り難い水でした。水の都と呼ばれ多くの家庭に自噴井戸があったようだ。
この地は、木曽川をはじめ西美濃と輪中地帯は水との戦いに明け暮れていたようで、大垣の宇鉄公は 地山治水で山の植林、乱伐を止め、開墾していったようです。氏鉄入封から大洪水が起こり、岐阜から養老まで一面海になったといいます。慶安寅年の大水とよばれています。8月に他人事でなく経験したので、山や川の政策は大事です。
さて、芭蕉終焉の地はこんな佇まいの河をわたたのです。
大垣城というと、関ケ原の戦いです。この城で、唯一杭瀬川の戦いは勝利しましたが城をおびき出されて関ケ原の戦いでやぶれています。うらぎりもあり、落城しています。大垣城では、武器が展示してあり、やり鉄砲も触る頃ができました。
槍の先がこんなになってると、用途がわかり痛そうです。
伊吹山ではガスが出ていましたが、ミストを浴びているようで涼しく、眼下の風景が見れなかっただけでお花畑は楽しめました。カメラを買い替えたのでよく映っています。
コイビキアザミ
あざみ?
アキニキリンソウ
メタカラコウ
リンドウ
高原で、蝶が蜜を吸いながら、幸せそうにとびまわっています。
サラシナショウマの群生です。
ゲンノショウコ?ハクサンフロウと葉が違う。
ほんとに元気をもらいました。
最後に神の島 竹生島 周囲2キロで、(神を】斎く島に由来して、いつくしまがつくぶしま・・・竹生島になったとか、島の形が雅楽の笙に似ているからとかいわれているようです。
祈りの石段を登り、本堂【弁才天堂】、三重塔、国宝観音堂や秀吉のござ船日本丸の骨組みで作った船廊下、天皇を迎えるのに時代の粋を集めて作ったという(日暮御殿)という伏見城内の最高の建物を寄進した都久須磨神社…これはなんだ!!!と思うぐらいの凝りようです.そしてかわらけ投げ、弁天様の幸せ願いだるまおおみくじ・・・
かつて、平経正が琵琶の名手としてしられ、平家物語巻七の竹生嶋詣に描かれているのですが、木曽義仲討伐につく途中、ここによりびわを奏でます。
社殿に澄んだ音色が響き渡ると、神仏も白竜となり経正の袖の上にすがたを現し、『ちはやぶる神にいのりのかなえばやしるくも色のあらわれにける』と歌を詠んだそうです。東京芸術大学にあるそうです。
もっともっと登ります。
うえ、本殿
三重塔
船廊下
県連豪華な国宝都久夫須磨神社
天井絵は見れませんでした。
帰りにかわらけなげの全景をとる
長浜の曳山山車には、竹生島のものがつかわれているそうです。
秀吉が男子誕生をゆわい、町民に砂金を配りそれを元手に曳山を作ったのがはじまり
300ねんまえにこども狂言が演じられました。五歳から一二歳の子供により演じられます。それはそれは立派なものです。
曳山の高さ、六から7.6メートル、長さは六~九メートル 幅は三~3.5メートル
重さ4.5~6.2トン、一三期の曳山があります。とにかく凄い。
さて、竹生島より帰路、眺めのいいデッキへいきごきげんになりました。
琵琶湖は波がなく船で走ると爽快です。
ご機嫌になります。御神渡りのように、波が邪魔しないから一直線に航路の道ができます。いい息抜きでした。
駅のすぐ前に伊吹山
住んでいる町に大きな山がそびえるのは大好きな風景です。安心します。