九州場所が待ち遠しい
日本シリーズも盛り上がらないし、相撲が待ち遠しい
今月、地方巡業なるものに行ってきた
お相撲さんかわいい。
寒い日だったのに、きれいな肌で、裸で鍛えているから綺麗でした。
大きいのに、しまってるから大きく感じない。野球選手もこれで体幹鍛えてるけどふりまわされてるかんがあった。なのに力があります。水の入ったやつです頭の上まで何回でもできるんです。
こんなこともしてます。
御嶽海ですかね
稀勢の里は一人黙々と・・・
手振れですみません。
これは、横砂の綱締め実演です。
土俵入りはこちら 白鵬さま
応援する嘉風はこちら 唯一いい取り組みでした。
緊張感に欠けるので、場所が楽しみです。相撲甚句も初切も太鼓もよかったです。
さて、いま都市の災害リスクとその備えについて学んでいます。
震度は、0から7まで、5と6は弱,強2段階に分かれ、10段階にわかれます
地震のタイプとして、プレート境界型地震【海溝型地震】は規模がM8~9で、発生感覚は10年~150年数100年から1000年間隔で巨大地震がおこり、津波をともないます。
2011年の東北地方太平洋沖地震が代表例です。
もう一つのタイプ、内陸型地震、(内陸直下型地震)は、規模M7~8 発生間隔は数10~150年、すう100年から2000年の間隔で大地震が発生、します。
代表例は、1995年、兵庫南地震、1891の濃尾地震があります。
ただ、日本は活断層が2000か所あるため、数年に一度の間隔で被害が起こります
グーテンベルク7・リヒター則では、地震の規模と発生回数の関係として、マグニチュウドが1おおきいと発生回数は数分の一から1/10になるらしい。
なので、規模の小さい地震は発生回数が短いので被害は少ないが頻繁の起こりえることがわかります。
ちなみに、マグニチュウドは地震で解放される総エネルギーを対数化したもの
地震の規模を表す値M6.4やM8.0とあらわされます。
1増えると地震のエネルギーは31.6倍
2増えると 1000倍のなります。
震度は揺れの大きさ、強さを示します。
などと学びました。しらないことばかりでした。
台風も来るし激しい雨の中ご苦労さまです
今日は群馬との試合 8戦ぶりの白星です。
勝てていなかったので、応援に行きました。
雨の中合羽を着ての応援です。先制されましたが、赤嶺、石毛が合わせてくれて
逆転しました。これで、13勝13分け12敗で勝ち点52です。
朝から大変な一日でした。でも、Tシャツを貰ったし勝ったし・・・
選挙もありまして、
台風はこれかららしいですし・・・ゆっくり眠れます。
秋晴れ,快晴
自転車に乗り、快晴の中走る。
稲は実り、黄金に田んぼを染め、二両の電車が走る。
心地いいの一言・・・
まずは、吉備津彦神社、お店の団子が食べたかったが開いてない
そして、吉備津神社
本日は昼から75膳据神事があったはず
御神殿に世話人が集まり神餌や奉供物を百数十人の氏子が神職を先頭に本殿を目指して行列になり神様にそなえるもので
終了後の写真です
比翼入母屋造の屋根が空にそびえます。
本殿の深い軒や回縁を一本の市中もなしで一軒で作っているらしい。
美しいのだ、調和が・・・
帰りの草や苔の生えた屋根もいい感じだ
GACCOではいま『世界の洋菓子の歩き方』が始まりました。もう少しすると、
『都市の災害リスクとその備え』が始まります。楽しみです。
体育の日です。体を動かしましょう
桜島はよかなあ
葬式で帰京
ドコモ商店街はさびれていますがここは町は広がりきれいに整備されています。
路面電車に青々とした芝が貼ってあるのも美しいです。
来年から、西郷どんがNHKではじまるので、西郷南洲顕彰館にいって、きました。
最後は西南戦争で城山にて自決しておりますが、自分の建てた私学校の生徒が暴走したことが始まりでした。
江戸の無血開城を誠意ある話し合いにより決断した盟友の勝海舟が挽歌を残しています
ぬれぎぬをほさんともせず子供らのなすがままにて果てし君かな
帰路で文庫本を読み人間西郷に会った気がしました。
明治元年に幕府のためによく戦った庄内藩にも寛大に取り計らい,南洲公遺訓を刊行されています。
この場所は桜島がひと際近くに見えます。
お墓詣りと神社にお参り
西郷さんの家紋、中心に12枚の菊の花びらを使うのを遠慮して3枚しか使っていません。
人口70万人で、20万人が武士という多さの中、城郭を分ける甲突川の城側,下加治屋町は70個ほどの家が建つ貧しい屋敷町、その中から多くの偉人がでた。
3人の妻をめとったが最初の妻は26歳の時、伊集院兼善の娘、が、この年祖父、父は歯をあいついで亡くし、弔い費用がかさみ、11人と奉公人の大家族の世話は大変な苦労で、参勤交代で西郷は江戸に行ってしまうし、疲れ果てた娘を見かねて両親は連れ戻し、離婚の申し出をされてしまう。生涯自分のふがいなさを悔やんだらしい。
西郷は4男1女に恵まれる。奄美大島潜伏中であっ愛加那との間の菊次郎,菊子
菊次郎は12歳でアメリカ留学、17歳で西南戦争で片足を無くす。その後、外務省・・・明治37年から京都市長を務めている。
糸子とのあいだには、寅太郎,午次郎、酉三がうまれている。寅太郎もドイツ留学し陸軍省尉、父の候により侯爵を授かり,貴族議員になら理法務大臣を務めている。
午次郎は日本郵船会社に勤務し重役を務める。酉三は肺結核で30歳で亡くなっている
西南戦争の最後の前夜、政府軍は花火をあげたり、海軍軍楽隊の演奏で英気を養い、西郷軍も祝杯を挙げ決別の宴が盛大に開かれたというから驚きだ。
覚悟とねぎらい、人間らしくあたたかい。来年どう描いてくれるか楽しみだ。
虫の音、涼風に季節は変化
季節を先取りする虫たち、
植物に変化を知らせる風の力
やっと夏を送り始めた自然の力・・・
今年も生き延びられたなという感じ
そんな中,今年の講演は、若き建築家、畝森泰行
若いゆえに小規模なスモールハウスを、天空率を使い手掛けた家
その中で発見があったのか、時間による光と風の移動、縦軸の時間、横軸の時間
気球サークルにいたことで高度による風の向きの違いを知っていたので
山の手通りの家では、5層の建物で、下は天井を高く、上は天井を小さく窓を大きくと
窓のサイズを変えることにより暮らしに密着
そして取り込みつつある住宅は、20年かけて住宅を作るというもの
その変化の中で、テラスだったところが屋内になったり、水を扱うことのできる部屋になったり、メンテナンスのしやすい外壁を使って試みているという…3年10年15年で増築するという・・・試み、変化という視点、ゆっくり変わる家
境界という視点では、現在の開発して住宅を売るやり方に疑問、土地の文筆の仕方を考え、道を介したコミュニュティーの在り方を考える、共有広場や集会所を設けるように交渉して小さい町を作ろうとしている。境界になっていた構造物をいかに隙間を利用して風、光、音、人間が回遊するかに視点を置く建物…の試みさらに、関係、人間、視線というテーマを考えながら、福島の須賀川市民交流センターを設計、新しい図書館を作るのに数々のワークショップをしたり、市民目線も入れて活動することで、私たちの建物を作ろうとしている。階層的に建物を積み上げるのでなく、テラスをたくさん作り、外から活動が見えることによる効果を考えているという。私たちの今の時代、災害と戦ったり、孤立をさけて生きていく必要ができた。まさに手と手を合わせるように積層する建物を作ろうとしています。
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