明日は大晦日
お正月の準備、なんとかできそう。
厳しい寒さも少し緩み、畑の野菜取りにも出かけた。
賑やかすぎただろうか?
お花は今年こんな感じにしてみた。
毎日食事をつけて、体重、体内脂肪とかつけているけど、12月に始まった立教大学のスポーツ栄養学はすごくためになっている。
全体重の35から40パーセントを筋肉が占める
体重の60パーセントが水分というのは知っている。
生命を維持する上で必要な不可欠脂肪は
男子3%、女子12%である。
脂質は重要な栄養素であり,過敏な摂取回避はよくない。体の全エネルギーの貯蔵量の80%を占めており、生体膜の構成要素、ホルモンの材料になる。
ここまでは、なんとなく知っている。
筋力アップ、プロテイン摂取の実践的推奨として
毎食、最低20~25グラムのタンパク質は確保する
長時間運動時はタンパク質も補給する。
運動直後に、20~40グラムのホエイプロテインを摂取する。
就寝前にも、20~40グラムのカゼインプロテインを摂取する。
ホエイの吸収は早く,カゼインは血中アミノ濃度を維持する。
筋グリコーゲンの回復には糖質と一緒に摂るとよい。グリコーゲンの回復速度が違うことがわかっている。
特に大事なこと、炭水化物を摂らずに運動すると、血中尿素のうどがあがる。タンパク質の分解の促進がある。だから空腹状態でのトレーニングはもったいない。
腹が減った状態でトレーニングすると自分の筋肉のタンパク質をアミノ酸に分解してエネルギーとして使ってしまう。これはよくない。
運動前の状態と運動直後の補給はとても大事なことのようだ。
なので、アスリートは、もぐもぐタイムとか、ハーフタイムの間食がその後のパフォーマンスに影響する。
アスリートのタンパク摂取目安量は体重あたり2グラム、一般人の2倍、(一般人は食べたタンパクは筋肉にならない。)
まだ、学びの途中だが、
毎回の食事で5つの栄養素を摂ることが必要なのだとよくわかった。
年をとればとるほど体作りが必要だ。
老いを嘆くいとまがない
テレビをみると健康志向と病気に関する番組にあふれている。
自分自身で考えてみると、胃カメラを撮るとしよう。画像を見ると血管が浮き出ている。柔らかい若い胃とは違う。萎縮と医療用語でよぶ。
この年をとった胃壁の萎縮と、住み着いたピロリ菌での萎縮は見分けはつかないそうだ。年相応に変化していく体、それが、当たり前のこと。
しかし、それを認めたがらない時代なんだろうか?
ちょっと平均寿命より短かったら、また不具合があったら、落胆する材料になる。
不安も大きい。
病名に詳しくなり、死因にこだわり、不安ばかりが大きくなってくる。
そんなきがする。
知らぬが仏 ・・・でいきたい。
最近疲れやすかったり、いろいろのことを、老いということで嘆いている自分がいる気がする。
上寿は百歳 中寿は八十 下寿は六十
六十以上は長生きなのだ。
そう考えて、いろいろと考えるのをやめよう。
昨日、ファジアーノのフアン感謝祭があった。澤口雅彦選手、大竹洋平選手などが契約更新せず去ることになった。寂しい。
哀愁がただよっています。後半人生頑張ってね。有り難う!!
赤嶺選手のサインです(右)。大きな手で握手してもらいました。大きい手にドキリ!
来年亥年となる。
来年の干支、今年もいろいろアレンジしてみました
これはとても難しかったです
これは簡単、みばえはいい 金色の牙がいい。
銀のイノシシは普通レベル
最後はぜんぶのイノシシのレースです。どのように
年賀に反映できるか
頑張れ、走れ・・・・・来年は平成の年号がおわるのだぞ
などしながら、西郷ドンをみていたのですが、さみしくなりますね。
幕末は、いろんな人が命をかけて、繋いで幕末、維新、と改革して、士族の反乱で西郷は自刃するのですが、自由民権運動は板垣退助、後藤象二郎らが自由党と立憲改進党を結成して憲法ができ帝国議会で実を結びます。
内乱の際、物資の調達、武器や軍靴で巨利を得たのが東は岩崎弥太郎、西は藤田伝三郎です。どこで知恵を発揮するかというのが、それぞれの人生を大きくかえます。
高島屋の初代飯田新八も、勤勉、誠実さを掲げて成功した人ですが、一番は、禁門の変で京都中を焼き尽くした火が近づいた時、高島屋の商品を頑丈な土蔵にしまいこんだという。翌々日鎮火したとき、喜び勇んで扉を開けると、高温の土蔵に酸素が入り、バックドラフト現象で炎に包まれ焼け残ったものが灰になる商家がおおかったという。新八は商品が無事なのか確認したい気持ちをおさえ、数日待ったという。また土蔵にはあらかじめ、水を張ったものが用意されていたこともあり、全財産を消失せずに焼け残った商品を京都中の人が買いに来たという。
志と
知恵
現代の日産、これからのエネルギーの変化、どのようになっていくのか・・・
何を話し合っていくかで、決まっていく。ぼーっと生きてんじゃねえよと叱られそうだ
公民館祭り
表千家のお茶をいただきました。映画の希林さんのお点前と同じだなと
思いながら、そして、最後に本日のかけじくを味わいました。
紅葉がおちる前の何という絶妙の色、枯れつつある人生の、それでも華を放つ。
『本来 無一物』
参加したのは、フラワーアレンジメント、中でもバラの色が素晴らしいのがこちら
私のは、トライアングル型、花を挿したとき百合が咲いていなかったので、なんだこれは…と内心思っていたのですが、見事に咲いていました。
おうどんを食べてかえりました。
もう一つの作品も糸を撚るのでなかなか進みません。
がんばろう!
NHKの西郷どんももうすこしです。
色々本を借りて関連するものを読みましたが、驚くことが多いです。
いつも犬を連れている西郷さんですが、狩りは単なるレジャーではなく、戦さにそなえての地勢を調べるためにも、逃走路を考えておくためにも重要だったようです。
奄美大島に流されていた時、年六石の扶持米が与えられている。
南西諸島に生息する猪はサトウキビを食い荒らす大敵であったので、狩りはたいせつで犬はたくさんかっていた。ここで、西郷4から5匹の犬を飼っている。
狩人は犬を10ぴきもかっていても、餌はやらなかったという。村中の世食を食べ、命をつなぐ。飢饉には骨と皮になりⅡ匹は死んだという。
残飯、虫、海辺の漂着物、動物の死体、
南東雑話によると、
犬の、賞翫するもの、第一に人糞なり・・・子供の大便犬を呼んで食わすなり・・童子糞穴も舐めて始末をよくす…究極の共生関係だったようだ。
夜行性の黒兎もよく狩りをしていたようだ。
その後、京都でも、西南戦争でも犬とともにある。
優秀な猟犬を欲しがって、逸話もたくさんある。
驚いたのは、明治天皇、
イギリス書記官ミットフォードが書き記した京都御所で謁見した天皇
世界中のどの王国より、何世紀も古い王家の世継ぎにふさわしいものだった・・・
眉は剃られ額の上に高く描かれ、頬には紅をさし、唇は赤と金に塗られ、葉はお歯黒で染められていた・・・
女性のように化粧下天皇から新しい天皇に変えようと西郷は御簾の外に連れ出した。
天皇は乗馬を好み、体を鍛えた。女権を排除し、肉食の禁を解除、人の出産に伴う穢れ、物忌みを廃止した。赤坂離宮で広い庭で犬を飼う喜びを発見したという。
本格的な兔狩りなど、とにかく変化して自由になった。
西郷が城山で自刃してから、ショックがつよかったようで、3年ほどしてから、追憶徒侮悟の念で突然、兔狩りに熱中されている。
明治16年、西郷の賊徒の汚名はとかれることになる。天皇の心のうちの西南戦争は終わりを告げた。
今日はここいらで・・・
本当に歴史はおもしろい。
行楽は弁当がいい
紅葉、新ソバ、温泉目当ての秋の旅行
乗り心地の良い車で、自動運転のようなお任せ運転
楽ちんにスタート、
奥出雲、鬼の舌震
忘れてきましたこれ
この、バリアフリーの道、行ってみないとわからないものです。
V字に谷が侵食されたところですから、考えると納得、山登りの鎖が岩、に打ち込んであるように、高い場所に歩道が設置してありました。
まずは、恋つり橋を最後にわたるように歩き始めます。
つり橋の下、ここより大きな岩との遭遇
河原は岩の連続、流れる川の音は激しくなります。
この階段を登り、バリアフリーの道に上がります。
長い距離で、ところどころ舌震 ならぬ、身震いするような怖さ、黒部ダムのできる前の道、黒部にけがなしといわれた・・・を連想させます。ちょっと及び腰で・・・
こんなの平気の人もいましたが
無事8000歩の道をわたりきり、真ん中で揺れる吊橋も我慢して、やっと楽に撮影、
スリルも過ぎてしまえば楽しい!!!おなかすいた・・・
でも人が集まり、目指すものが一つになると、行列、何処に行っても待ち人・・・調べなおして、神社にもお蕎麦屋さんがあり、新そば祭り。稲田神社です。
時間は過ぎる、エネルギーもつきる・・ちなみに由緒あるところで、
造りもこんな曲がった木を使ったのか?珍しいので、
そこで、亀高駅を紹介してもらい、移動して、又並びなおしました。来る途中に有名な『砂の器』記念碑のある湯野神社があります。そのいわれはこうです。
亀高駅は今は無人駅で、そこを使ってお蕎麦屋さんをしています。扇屋そばさん
待ったかいありおいしかった。しっかりしたおそば、つゆが甘くておいしい。
トロッコ列車も走っており、運よく撮影できました。
その近くの、玉峯山荘温泉にはいり、帰り道に有名なおろちループを通り帰りました。
延命水を貰い、三段式スイッチバックをみました。
本当にご苦労様でしたよ。
錦織も負け、日本シリーズも終わりました。