アッケシ草を見に

以前倉敷にすんでいて、寄島という地名は良く聞いていた

ことし、アッケシ草という珍しい塩湿地に生育するものが、赤く色づくときいて

いってみた。瀬戸内海の堤防の遊水池に自生していた。

三ッ山スポーツ公園は、寄島アッケシランドとして、18年前から保護しています

三ッ山が見える瀬戸内海も目の前で、気分爽快でした

寄島がこんなにもいいところであったとは!

沢山歩いても疲れない,体がきれいになりました

ちなみに、北海道厚岸町牡蠣島で発見され、別名サンゴソウといいます。

毎年行きたいです。環境が素晴らしく気に入りました。

角島

帰省にさいして、旅行する

車での帰省なので、小回りがきくので、色々回っていこうとけいかくする。

下関市、角島

台風にこの後追いかけられるのだが、この日、最高のお天気、

清々しい気持ちで,旅のスタートです。

下関に泊ると、対岸の門司港がみえます。

もう少しずれていけば、花火がまられ、両方から呼応して花火が上がるそうです。

是非来年、みたいものです。

こちらは、門司側、ブルウイング門司の可動式青い橋です。

門司税関は赤煉瓦でしんめとりーなかたちでうつくしいです。旧門司駅もレトロでゆうめいです。

レトロ展望室からの眺望です。

関門橋のしたは、船が行き交います。

 

一方下関の対岸も,唐戸市場があり、海峡夢タワーが賑わいスポットです。

関門海峡は楽しい。

そして熊本まで急ぎます。

目指すのは山鹿温泉、八千代座とさくら温泉

今でも板東玉三郎さんの公演がおこなわれています。素晴らしいです。

熊本城主備後細川藩主 細川忠則公は、山鹿の温泉がたいそう気に入り、御茶屋

新築し、それが、さくら湯のはじまりです。13代将軍と宮本武蔵をしょうたいしたことが、細川藩奉書にかかれています。御前湯鳩の様と重臣の湯、御次湯は、藩の家臣、外湯が庶民だったようです。大理石と木材を使っています。

龍の湯が残っています。夏の汗を流しました。

見所いっぱいの山鹿ですのりだけだ作った灯籠で、千人の祭りがあります。

人口5万、豊前街道はいまもいきずいています。

 

 

青い海

鹿児島の帰り道、青島神社を目指しました

瀬戸内と違い、海が波が強いのはもちろん、青い海

気分がいい

靑島への道は、これぞ宮崎

ソテツに導かれ、青島へ

周囲1.5キロの中央に鎮座する 青島神社

周囲は、鬼の洗濯岩と呼ばれる岩層、

1000万年前の地層が浸食して出来た波状岩で囲まれていて,亜熱帯植物がおいしげります。ビロウ樹ヶ取り囲む中央に青島神社があります

隆起海床で、奇形波食痕、が広がります

海幸山幸の神話出おなじみのヒコホホデミノミコトを祭神とします。

真っ赤な御殿がむかえます。

本宮 古代のお祭りの後としてしられています。

祭器として使った土器の皿が多数出土しています。あまのひらかなげとして願いをこめ

裏の境境の中に投げ入れるていました。割れると開運、厄払いになります

タカラガイをさがし、元宮の波状岩に供える 真砂の貝文 です神事があるようです

この他にも、結びこよりなどがありました

また、海のすぐ近くなのに、真水しかでない玉ノ井と呼ばれる井戸があり

竜宮城の入り口と言われ、願い事を書いた願い府に息を吹きかけ、玉の井に溶かすと願い事が叶うとされているようです。

タカラガイを探し、供えました。

3年しか山幸彦がいなかったという神話です。

島を1周しました。

満喫して次はどこ?

モアイ像を眺める予定でしたが、工事中でいけず、堀切峠そして、鵜戸神宮

ここが堀切峠です

この太平洋に突き出した鵜と神宮

青島南部にある神社です。日向灘に面した神秘的な洞窟の中に本殿があるなんて想像しませんでした。

中々でしょう!神門をくぐり楼門をくぐります。そしてに本殿へ 海際を行きます

朱塗,太鼓橋,太鼓橋をおります。

見えてきました。本殿が鎮座する洞窟前には巌磐や亀石などの大きな岩があります

鵜戸千畳敷奇岩は,堅い砂磐と柔らかい泥岩が理返し積み重なり,20度傾日向日向灘に面したので、堅い砂磐層だけが洗濯板のようにのこったものらしいです。

縄でかこんだところが亀石で、運玉をなげいれます

本殿の奥に豊玉姫が息子のことを思い自分の乳房を磐につけたと言われるお乳磐があります。鵜戸神宮の神使は、鵜から、卯、禹、へ転じて兎です。なでウサギなどもあります。開運や飛翔がきたいされます。

本殿の鏡に姿がきれいに写ったのもびっくりでした。

神宮でこんなに神秘的な体験をして、こころにのこります。夫婦円満、安産祈願らしいので、良いお参りが出来ました。

ここは社格がたかく、朝廷や国から、神様に供える幣帛をうけているそうです。

どうやら、いい旅が出来たようです。

このあと、大分まで進み,関アジをたべて、船で四国へ渡り,瀬戸大橋を渡り帰ります

ほんとに時間がかかりました。

濡れた綿入れ

これは、あるUNEXT の作品の中で,主人公が息子に

自分のことを一言で言うとどう現されるかと尋ねると

「濡れた綿入れ」とこたえたのです。

着ると重く,脱ぐと寒い!

言い得ているなと思い,心に突き刺さりました。

 

福井の旅

消えました,なのでもう一度書きます。

苦労した3泊4日の福井、東尋坊から三方五湖、年縞、まで

 

神ノ島といわれる雄島

気に入ったのは、ここ雄島、

大秦神社

この奥にいくのは、しりごみしてしまいました。ヤブニッケイの森

独特の薄暗い、神秘的でした。ただ、

せなかがぞくぞくして、、、後で調べると,納得しました。心霊スポットでした

きたがわにいくと、方位磁石を狂わせる不思議な石が点在する岩場らしそのほかそのほか、瓜割の水,や北側の板状我あり、見て我あり、見てないのでとても心残りです。

しかしながら、この神社の中は,日の出を拝めるような作りで、心は落ちつきました。

ここからは東尋坊がみえます。

とても景色がよく、新年は日の出がおがめるでしょう

大秦神社の拝殿です

海の漁は危険がいっぱいです。海での無事を祈る神社へ今は,朱塗りの雄島橋で渡れます。気になる島です。もう一度行きましょう。

二日目

折しも桜が美しい,越前丸岡城

一筆啓上の催しがありました。

日本一短いてがみ

一筆啓上

火の用心、お仙泣かすな 馬肥やせ

家康の功臣本多作左衛門重次が陣中から妻へ当てた手紙です。

1575年、信長は越前の一向一揆を平定するため,丸岡の豊原寺をやきはらいました。

その恩賞として柴田勝家に越前之国を与え,北の庄に築城を命じます。

甥の勝豊に豊原に派遣して、豊原上を構えました。これが丸岡に移り、丸岡城になりました。以後4代明治維新まで続きます。

永平寺に行きましょう

写真は撮れませんが、荘厳で,心落ち着けるところです。

次回は、座禅もくみましょう。

越前大野城は、天空の城と言われる程ですので、たかいところにあります。登ります。

町並みがきれいです。

遠くには山もそびえます。

三日目
一乗谷朝倉氏遺跡、信長に焼かれて,そのままだったので、町並みの復元も出来ています。侵入者には見通しできず、守る方からは、見通せる作りのようです。

桜、それも、しだれ桜が素晴らしい。

ふくいのほてるは、恐竜の心づくしです。

郷土食を堪能しましょう。

恐竜博物館が改造中にて、駅の恐竜のみになりましたが、また来いと言うことでしょう

まつばがにや、おろし蕎麦、へしこはばつぐんにおいしく、水ようかんなど食も楽しみました。

4日目

三方五湖レインボウラインを上り最高の景色、行きたかった年縞にやっとたどり着きました。

三方五湖の写真が出せません。

この辺で失礼します

福井は友人にも会えたし,また行きたい。

家康の合戦で逃げたところとかいけなくて残念、一番の恐竜博物館も行かなくては!

 

今年もさんざんなめにあいます

年明けから、通帳から2ヶ月ごとに550えんがNTTコミュニケーションズより引き落とされているのに気づき,18年に電話して解決したと考えていましたが、びっくり

色々パソコンから解決策を巡らすも、色々パスワードでつまずき、ガックリ

なんと申しましょうか?

全てをめんどくさくしていませんか?と言いたくなります。

消費者センターに言いに行くしかないのかな?

ネットワーク?

適切に判断してくれる人が一人いればいいのに,電話でも難しくなる一方です

当てにならないのがパソコンです。

みんなどう思っているのかな?