尾道千光寺
青春18切符が1枚になったのでエリアの周遊きっぷで出かける。
久しぶりの千光寺、
まずは、ロープウエイで眺める尾道
千光寺、西園寺、浄土寺とこの辺りは、巨石群が点在している。
千光寺の鎮守は、熊野権現と石鎚蔵王権現がまつられています。石鎚山に鎖が取り付けられ、鎖山として眺めと奇岩をみることができます。
平成17年から一般の参拝客がお参りできるようになりました。
これを登るのが目的です。
四国の石鎚山を実際登ったことのあるおじさんが、あそこより大変やったわ!との感想
ほんとに口添えを貰いながら登りました。まずここから
自分の写真はお見せできません。すごい顔???してるんですから
八畳岩,梵字岩、鼓岩(たたくと鼓の音がする)、玉の岩(伝説あり)、鎖岩、などたくさんの岩、林芙美子や歌人の歌が刻まれたものもあります。
また、三十三観音像は百八煩悩滅除大念誦があります。まわすと珠が落ちてカチカチおとがなります。この音で煩悩を打ち消してくれるようです。
ここをおりていきますと、文学の小道です。
志賀直哉旧宅で話を伺いました
小説の神様として知られている。写真写りのいい、お坊ちゃん、
相当のお金持ち、子供の頃の写真は来ているものよりポーズをとっていることにおどろく。三二歳で、武者小路の娘と結婚。
暗夜行路をかくため三〇歳、尾道がいいところだと紹介されたらしいのだが・・・尾道では完成せず。八九歳でなくなっている。
見開きの小説に今でも変わらない風景が描かれている。父との不和でこちらに来て暗夜行路を書くわけだが二十六年に渡りやっと完成している。ほとんど私小説である。ただ
尾道で、じっくりと腰を落ち着けたわけではなさそうだ。
風景は変わっていない。ただ木がおおきくなり、見渡せていた島が見えなくなっているぐらい。
目の前の造船所
ここの壁には伽羅の布をピンでとめ、寒い日には毛布で窓を覆った。暖を取るためガスストーブを借りて、ガスの使用料は尾道で二番目だったという。あの時代、ヒチリンでステーキを焼いて食べてもいる。色の変わった部分だけが尾道にいたのだが、・・・
近くの廓遊びでは、こんなプレゼントもしていた?高価でセンスがいい。
父は国立銀行、東京では文部省、経済界に転じては総武鉄道の役員や東洋製薬の会長、帝国生命の取締役…父になじめず、祖父を好感を持っていた。
ただ、一三歳で母親を亡くしている。すぐに、
24さいの母親がくる。辛い体験よりも、淡い気持ちがあったようだ。祖父が亡くなり事件が起こる。家の女中に結婚の約束をしてしまう。父から女を捨てるか家を捨てるか迫られ、家を出ている・・・中途半端で、旅行や転居を繰り返して・・・暗夜行路を書きあげる途中に、行った先々で、城崎にてとか、銘文を書いている。
帰りに今はやりの鉄道,チャリをそのまま載せられる電車が止まっていた。