ちょっと早かったか青草はみれず、たねや
懐かしさを感じる設計、工夫の数々、なんともいえず茅葺以上の雰囲気
まだ枯草もまま、5から6月でしょうか?水がまかれ、滴り落ちていました。
中は焼き立てのバームクーヘンやソフトクリームが売っています。
天井は漆喰や炭をうまく使っています。そこを抜けて裏はまた趣があります。
漆喰をうまくつかっています。
ここは水田にするのでしょう。イメージがいいです。本来の日本人的な...
帰りに、また写真 屋根に木が植わっているのがいいです。
さて、チャリで移動、近江商人の町はすり抜けて、八幡様へ参り、ロープウエイで村雲御所瑞龍寺へのぼります。この八幡山山頂には、豊臣秀次が城を構えていました。今は石垣のみです。秀次は秀吉に自害させられるわけですが、その菩提のために建てられた瑞龍寺を京都から移築しました。
次に、安土城あと、信長の館などをめぐり、彦根へと移動します。
まず見たのが、馬屋、城の前に残っているのは珍しいです
糞のしまつにくふうもありました。
外堀、内堀などが残っており、全体としてのまとまりは、姫路城いじょうのものがあります。NHKでお馴染みの井伊家ですが、家康より直政が関ヶ原の功績によりこの立派な城をもらっています。
有名なのは、井伊直弼
5歳で生母、17歳で父を亡くした直弼は、埋木舎で、心身の修行、禅の精神を学び茶に生かします。
世の中をよそに見つつも、埋もれ木の埋もれておらず、心なき身は
という句が精神をあらわしています。いかに働いたか、資料はかたります。
下のものが作った資料に付箋をして、本人が情報を赤字で書き加えています。このち密さです。最近の官僚とは違いますね。
さて、城の石垣、建築当時は打ち込みハギ積み、改修は落とし積みらしいです。
有名なのが、大手門と表門からの両坂道を上り詰めたところにある、戦時に落とせる廊下橋、天秤櫓です。
下、変わり兜です。これが ひこにゃんのヒント?でしょうか。
ひこにゃんタイム、大変だね、シャッターチャンスのこっちみて!の声にこたえて
天守へ、急な階段を上りました。すごい人です。
西の丸を望むと桜が開花を待ちます。
こちらが、西の丸三重櫓です。こちらからは、琵琶湖がみわたせます。
降りていくと、玄宮楽々園、ここからも城が見渡せます。
外堀には、桜、きれいでしょうね。
最後に、資料です。
他にも隠し部屋が2階の東西に、3階の東北にありますし、敵の攻撃から守りため二重壁になっていて、30センチほどの厚さがありました。
また見ていないところにも行きましょう。
帰ると次の日、作品が出来上がってきました。
思わず、拝んでしまいます。?